個人情報の流出について考える

最近、企業へのサイバー攻撃や情報漏えいのニュースを毎日のように目にする。以前ならある程度大きな事件として受け止めていたはずなのに、今では自分が利用しているサービスかどうかを確認して、それで終わることも多い。企業からお詫びのメールが届いても、驚くより先に諦めの感情のようなものがある。危険が小さくなったわけではなく、ただこの状況に慣れてしまったのだろう。
考えてみれば、個人情報の流出とは不思議な出来事でもある。財布を盗まれれば、なくなったことにすぐ気づく。しかし個人情報は盗まれても手元から消えない。名前も住所も生年月日も、昨日と何も変わらない。どこかでコピーされて誰かの手に渡っていたとしても、日常生活は何事もなかったように続いていく。被害が可視化されず、いつ何が起こるかも分からない。だからこそ危険を実感しにくいのだろう。
しかも、僕たちは自分の情報を自分だけで守ることができない。銀行口座を開設し、ネットで買い物をし、行政サービスを利用する。そのたびに、企業や組織に個人情報を預けている。パスワードを複雑にしたり、二段階認証を設定したりすることはできても、預けた先でどう管理されているかまでは正直分からない。自分の情報なのに、自分では管理できない。仮にそれに疑問があったとしても、「情報を預けない」という選択肢は、現代の生活にはほとんど残されていないように思う。
そもそも、僕たちは本当に企業や組織を信頼して情報を預けているのだろうか。
例えば、利用している銀行で情報流出が発覚したとして、すぐに口座を解約するだろうか。給与の振込先や各種引き落としを変更するのは面倒だし、別の銀行なら確実に安全だという保証は何もない。ECサイトやSNS、仕事で使うサービスやSaaSなども同じだ。不安を感じても、便利だから、慣れているから、あるいは使わざるを得ないから利用を続けている。そこにあるのは必ずしも企業への信頼の感情ではないように思う。
企業側は顧客の継続利用率や解約率を重視する。リテンションレート、チャーンレート、顧客エンゲージメント。もちろん事業を評価するうえで重要な指標だけど、顧客が離れないことをそのまま信頼の証拠と考えるのも今の時代危ういように思う。顧客はただ単に代替手段がないだけかもしれないし、乗り換える手間やコストが大きすぎるだけかもしれない。サービスが生活に深く組み込まれるほど、不信感やペインがあっても利用者は簡単には離れられなくなる。
ユーザーが離れないことと、ユーザーに許されていることは違う。
むしろ、企業にとって本当に怖いのは顧客が怒らなくなることなのかもしれない。情報流出が起きても抗議せず、解約もせず、ただ使い続ける。企業側からすると何も失っていないように見えるが、そこでは信頼が維持されているのではなく、サービスやブランドへの期待そのものが失われている可能性すらある。企業は選ばれる存在ではなく「仕方なく使われる存在」になってしまう。
もちろん、情報流出後の対応によって信頼を取り戻す企業もある(逆に対応の悪さで評判を落としている企業もあるが…)。僕自身も、個社の名前は出せないが、諦めのような感情で解約したサービスや離れたブランドはいくつかある。
個人情報が流出しても、もう驚かない。信頼を失っても顧客は離れない。そんないびつな関係を果たして健全な顧客エンゲージメント・カスタマーリレーションシップと呼べるのだろうか。
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