コラム

COLUMN:

快適なUXの裏側で、誰かが摩擦を請負う

海外旅行に行ったらUberを利用する日本人も多くなったように思う。Uberがアメリカでローンチしてすぐ、アメリカでUberやAirbnbを利用した時の快適さや優越感を今でも覚えている。スマホで場所を指定し、車に乗り、何も話さずに目的地に着く。Uber Eatsも同じだ。料理を選び、支払いを済ませ、玄関前に置かれた袋を受け取るだけ。支払いも会話の工数はほとんどゼロ。すべてがスムーズでストレスフリー。そこに摩擦 (Friction) はほとんどない。

日本国内においてはUber Eatsを利用することのほうが多い。便利で楽で快適。家から一歩も出ることなく、誰とも話さず、部屋着のままで仕事や家事をしながら待っていれば商品が届く。お金を払った体験の記憶すらあいまいなまま、最終的に商品が手元にある感覚は冷静に考えると不思議に感じることもある。

UXデザインの文脈では、サービスや体験の「Frictionを取り除くこと」は善であり正義だとされてきた。ページの読み込みをなるべく早くし、ステップを減らし、情報を取捨選択してシンプル化して、ユーザーへの選択肢を限定する。タクシーを捕まえる煩わしさや、現金で支払う面倒、配達員との確認のやりとり、言語が違う人とのやりとり。それらはすべて「解決すべき摩擦」としてテクノロジーによって排除されてきた。

今年の春頃、ライターであり経済思想家でもあるカイラ・スキャンロン氏の記事が話題になった。「摩擦は、今や世界で最も価値のある資源である」というタイトルの記事では、「摩擦は消えていない。ただ移動しているだけ」であると主張し、テクノロジーが摩擦や負荷を取り除くとき、必ず誰かがその代償を支払っているという社会構造を説いた。

Uber Eatsにおいて、その摩擦はどこに行ったのか。それはユーザーの目に触れない場所へと再配置されている。

アプリを開いて料理を選び、支払いを済ませ、玄関前に置かれた袋を受け取る(人によっては配達員から受け取る)。一連のユーザー体験のなかに迷いはない。待ち時間も短く、会話も不要。けれど、その「スムーズさ」の裏側でいくつもの摩擦が累積している。

たとえば、配達員は常に時間に追われながら複数の注文を並行してこなすことを求められる。評価スコアは報酬や案件の優先度に影響し、トラブルや遅延の責任は実質的にすべて彼らが背負う。GPSとアルゴリズムによって最適化されたルートの裏には、開かずの踏切や長い信号待ち、時間のかかるタワマン、エレベーターの遅延といった予測不能な現実もある。

さらに、料金体系はダイナミックプライシングによって変動し、報酬は徐々に下がっている。労働は個人事業主という形で切り離され保証も補償もない。ユーザーにとっての無摩擦な食体験は、そのままドライバーにとっての過剰な摩擦に転化されているとも言える。このように、Uber Eatsがユーザーに提供する「手間のなさ」は摩擦が消えた結果ではない。摩擦はテクノロジーのなかに溶け、一方の利便がもう一方の負担として蓄積される構造になっている。

ここで重要なのは摩擦を美化することではない。誰もが支払いで手間取ってしまったり、行き先をうまく伝えられなかったり、ATMやコンビニの端末を利用する際に必要以上に時間がかかってしまったり、無意味にイライラしてしまうこともあったりする。

だからこそ、摩擦の排除は多くの人にとって救いだった。けれど、その摩擦が消えたときに「誰の快適が成立し、誰の負荷が増えているのか」という構造の把握や想像力が、私たちからごっそり抜け落ちてしまってはいないだろうか。

これは、ユーザーにとって便利な「Amazonと配達員」の構造でも言えるし、「キャッシュレス決済と小さな飲食店」の構造でも同様に言えるかもしれない。小単価で少ない利益率を得ている小規模な飲食店が払う手数料の負担は想像以上に大きなものだ。

摩擦とは本来、人間が「考える」ためのスイッチであり、「他者と接続する」ための入口だったように思う。UberやUber Eats、Amazonのようなサービスは、便利さの極致としてその入口を見えなくした。けれど、見えなくなっただけで実はなくなったわけではない。誰かの元に転嫁されているだけだ。

フリクションレスな世界ではすべてがなめらかに動く。思考は省略され、関係は圧縮される。だが、そこで流れが滞ったとき初めて気づくのかもしれない。摩擦はただの負担ではなく、社会の速度を調整するための装置でもあったのだと。

僕たちはいま、「早くて、楽で、文句の出ない設計」に囲まれている。けれどその設計が、誰かの声や、関係性の種や、誰かの負担、そして自分自身がゆっくり考える時間をそぎ落としていないか。それをときどき立ち止まって問い直す必要があると思う。摩擦は時にうっとうしいし、できれば排除したいものだ。けれど、摩擦がなければこの社会はどこかで静かに壊れていくのかもしれないとも感じる。

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