2026.02.05
「SaaSの死」についての考察|AI時代にSaaSモデルは終焉を迎えるのか
2025年末から2026年のはじめにSaaS銘柄の大幅下落があった。インターネットネット上では「AIがSaaSを代替する前兆」といった内容の記事や、XやnoteなどのSNSでは「SaaS is Dead(SaaSの死)」的な投稿も増えた(煽り記事も含めて)。
特に引き金として語られるのは、AnthropicのClaude Coworkとそのプラグイン公開だ。結果、ソフトウェアセクターを中心に大きく売られ、SalesforceやAdobe, Workday, ServiceNowなどのSaaS銘柄が大幅安となった。当然、日本にも影響がありSansanやマネーフォワード等の日系SaaS銘柄も大幅下落となった。背景には「AIがSaaSやソフトウェア企業そのものの収益構造を破壊するのでは?」という不安がある。実際、海外メディアでもAIによるソフトウェア企業へのディスラプション懸念が下落要因として扱われている。
しかしながら、この流れの中で「SaaSの死」「SaaSの終焉」と断定するのは早いようにも感じる。論点を分解すると、起きている事象は主に3つだと感じている。
1つ目はUIの再編。
AIエージェントが自然言語でタスクを受け取り、複数ツールを横断して実行する。これが進むと、ユーザーが各SaaSの画面に都度ログインして操作する必然性が薄れる。AIエージェント前提の世界では、業務操作はAPI横断で実行されるようになり、企業にとっての競争軸はUIの出来ではなく、API設計の一貫性やデータ構造の整合性へと移っていく。
Claude Coworkのプラグインは、この方向性を具体的な形で示したことで、2025年時点から語られてきたUI再編の議論を一気に現実感あるものへと引き寄せた感覚がある。その結果、価値の重心をUIや操作性に大きく依存してきたSaaSは、徐々に構造的に不利な立場に変化していくだろう。
2つ目は価格モデルの再設計。
SaaSの多くはユーザー数での課金かつサブスクリプションモデルで成り立ってきた(企業の中のユーザー数課金・ID数課金・座席課金)。ユーザー数=操作人数であり、その数が多いことで付加価値を享受できるし実行できる前提だった。しかし、AIエージェントが仕事の一部を肩代わりする世界線なら、課金の単位は席数ではなく処理量や成果へ寄っていく。実際に利用した分だけ支払う従量課金モデル、つまり「サブスクリプション」から「コンサンプション」への転換はすでに起こっている。
この流れを抽象化すると、SaaSの価値は「画面」から「成果」へと重心が移動していると考えられる。従来のSaaSは、複雑で扱いづらかった業務ソフトをモダンなUIで再設計し、操作性の高い体験を提供することに価値の重心を置いてきた。しかし、AIやAIエージェントの登場によって、ユーザーが個別の画面にアクセスして操作するという前提が揺らぎつつある。それに代わり、どれだけ業務を自動化できたか、どれだけ成果を出せたかといった「成果指標」が重要になる。すでに米国ビッグ・テックでは課金モデルも変化済みだ。
この変化は、UIの再編や「画面そのものが不要になる」という議論と表裏一体であり、SaaSは画面、つまりUIレイヤーではなく、より本質的な成果を生み出せるプラットフォームであることが求められる。つまりSaaSが消えるのではなく、その価値の所在と収益構造が徐々に変化し、本質的な価値を提供できるSaaSのみが残っていく構造になると考えている。
3つ目は、システムの役割分担の変化。
個人的にはここが「SaaSは死なない」側の一番の論拠になると思う。SaaSは死ぬのではなくSaaSの形態のトランスフォームしていくはずで、次世代SaaSは画面よりエージェント中心の設計になるのだろう。 つまり、ユーザー体験の表層箇所はAIエージェントに吸収される一方で、CRM/HR/ERPなどの企業の業務データや基幹データ、権限管理、監査、ワークフロー全般といった基盤は必ず残っていく。AIはそこに指揮者や指揮官のような形として乗っかってくるイメージになる。
UIに求められる機能やデザインの厚みが今後薄くなっていくほど、裏側のSystem of Recordや運用設計の重要性はむしろ上がってくる。おそらく今後は中途半端なSaaSは淘汰される一方で、良質なデータ、業務上の責任を伴う構造化データを保持し、AIエージェントフレンドリーに参照・実行できる基盤を備えたSaaSは生き残っていく可能性が高い。
余談だが、AIの登場による「SIer不要論」的な煽り記事?も見かけるが、裏側のデータ整備や運用設計や権限管理が重要になる世界線では、SIerの役割もより重要になってくるのだとう(AIは社内の複雑な事情や需要を加味した設計はまだできない)。
一旦ここまでをまとめると、消えつつあるのはSaaSという提供形態そのものではなく、業務アプリやSaaSにおける画面が担ってきた価値と収益構造である。UIで操作する前提から、APIの参照先として機能する前提へ、サブスクリプションからコンサンプションへ。SaaSには、AIが安全かつ正確に参照・実行できるデータ構造とシームレスな連携を備えた、AIフレンドリーな基盤であることがより求められていくだろう。
つまり、このAI時代に起こっているのは、「SaaSの死」つまりシステムの全面置換ではなく、SaaSの提供価値の重心の移動なのではないか。CRM/HR/ERPなどのカテゴリは、プロダクトとして残る可能性が高いが、おそらく勝ち筋は変わる。画面中心の操作や入力体験でロックインしてきたSaaSは戦うのが難しい。一方で、データ整合性、構造化データ、権限、監査、業務ルールを厳格に担保しつつ、AIエージェントに最適な形でAPIとデータ、ワークフローを繋げられるSaaSは、むしろ基盤として生き残るはずだろう。
そしておそらく次の焦点は、AIが既存SaaSの上に指揮者として乗っかるだけで終わるのか、それとも全く新しい「AIネイティブな業務システム」が既存のSystem of Record自体を奪う世界が来るのかだろう。前者なら再定義、後者なら本当の世代交代になり、後者の場合は確かに既存SaaSや既存システムの死と言える。
個人的な見立てでは、現時点で確度が高いのは前者(10年以内では)、ただしAIネイティブな業務システムが登場し徐々にそれが大企業向けに導入される数が増えるほど、後者の確率も上がる。しかしCRM/HR/ERPなどのシステムを大企業がドラスティックに置き換えるのは期間と予算と体力が必要なので、おそらく10年程度では大きな置換えは起こらないと考えている。
特に日系企業においては、数十億〜数百億円かけてきた予算投下をすぐに振り切れるほどのスピード感や意思決定をできるとは思えない。加えて、AIネイティブな業務システムの導入は、単純な人員削減ではなく、組織内の役割定義と評価軸の再設計が必要になってくる(レイオフやリバランスも)。しかし、レイオフを前提としない日系企業にとっては、人を減らせないことよりも、役割を作り直し続ける意思決定と運用コストの方が導入の大きなハードルになるのだろう。
長くなってしまったが最後に。
今回市場が大きく反応したのは、その「転換点の可能性が近づいた」と投資家や市場が感じたからなのだろう。AIの指数関数的な進化速度を踏まえれば、こうした僕の見立てなども簡単に塗り替えられるだけの変化やディスラプションはすでに視野に入っているのかもしれない。