コラム

COLUMN:

「デザイナーおじさん、同じ見た目問題」について考察してみる

何年か前に話題になった「デザイナーおじさんはなぜ同じ見た目に収束するのか」について、今更ながら少しだけ真面目に?考えてみることにした。インターネットミームにもなっているので、ヒゲで眼鏡の見た目が似たおじさんが並んでる写真を、Xやまとめサイトなどで見たことがある人はいるはずだ。

確かに似たような雰囲気の「デザイナーおじさん」は増えている。黒縁メガネか細フレームのメガネ。短髪で髭、シンプルな黒のニットや白シャツ。少し緩めのシルエット感。どちらかと言えば浅煎りコーヒーやナチュールワインを好み、コメダでもスタバでもなくブルーボトル。アウトドアもたまに嗜むが、パタゴニアやノースフェイスというよりはアークテリクス。アクティビティは本格派というよりライト層だけどハイエンドな道具や服を揃えているし、ミラーレスも携行する。

主に目黒区・世田谷区全域に多く、特に目黒〜武蔵小山、中目黒〜学大、三茶〜駒場あたりに多いとされる。1980年生まれ世代がボリュームゾーンだが、1990年前半や1970年代後半生まれ世代にも見かける。この現象を少しだけ真面目に紐解いてみたい。

分解してみると、まず「職業上の要請」があるように思う。デザイナーという仕事は、その人自身がブランドの看板になりやすい。例えば繊細な家具や建築、プロダクトを手掛ける人が、過剰にハイブランドを着飾っていたらどうだろう。プロダクトのストイックな美意識とズレてしまう可能性がある。だから自然と、自分もプロジェクトや作品と同じ価値観を纏うようになる。シンプルで、普遍的で、知的な印象。いわば自分を媒体にした小さなブランド演出とも言える。

さらに「同業コミュニティの内部規範」もある。これはファッションや音楽、アウトドア好きなどが集まる特定のコミュニティに行くとわかりやすい。似たようなカルチャーを通ってきた人たちは無意識のうちに近い美意識や価値観を持つ。デザイナーなら北欧家具や民藝、モダニズム建築、ミニマリズム、モダンでシンプルな店構えに共感する人が比較的多い。すると、服もそこから自然に導かれていく。シンプルでナチュラルな配色の組み合わせ、華美ではない普遍的なスニーカーか革靴。シンプルなアイテムをベースに、靴やカバン、名刺入れや眼鏡、ノートやペンなどに「質の良いもの」を組み合わせる。個性的に見えて、実は同じ文脈上に並んでいる。

「年齢と選択肢の問題」も無視できない。若い頃は多少は冒険できる。派手な色、トレンド強めのシルエット、ブランドロゴ。でも歳を重ねるほどに、TPOや体型、そして何より疲れを感じさせないための無理のない服を選ぶようになる。そうするとなるべく見た目はシンプルに、色はベーシックに、シルエットは少し緩やかに、軽量の素材、しかし素材感だけはなるべく上質なものを….と同じ文脈に乗ってしまう。昨今のアパレル業界が、このような市場のニーズに合わせて服を作っているという側面もあるが。

さらにもう一段、少しひねくれた視点でも考えてみる。

「自分は服で勝負しない」というメッセージを発信しているという仮説だ。極端に言えば、「自分はデザインやクラフトで勝負してるから、見た目のカッコよさ競争からは降りてる」という宣言を間接的にしているということ。しかし、野暮でセンスのない服装をして「ダサく見られる」のは職業的にマズい。一方で、「外見の印象頼り」「ブランド好き」とも思われたくもない。そのバランスを取った結果として、似たような外見になっていく。派手に装えば商業的に軽いと見られる恐れがあるし、地味にしすぎても没個性と取られる。一方である程度、知的でスマートにも見せないといけない。これはデザイナーおじさんのジレンマなのかもしれない。

ただ面白いのは、こうした「同じ見た目」に見えるデザイナーおじさんたちも、細部を細かく観察すると意外と差異があることだ。眼鏡のフレームがわずかに太い人、眼鏡のブランド、パンツのシルエットの違い、太さ、テーパードの角度、靴はレザーかスニーカーか、どのブランドか。名刺や財布や鞄のブランド、使い込み具合。そういう微差に、微妙にその人の仕事の癖や価値観が滲んでいる。一見、同じ文脈上に並んでいるように見えても、それぞれが細かな個を実は演出・表現していたりする。ある意味、デザイナーらしいディテールでの差別化とも言える。

まとめると、このようなミーム化したルックは、もはや同族性を互いに認識し、無駄な説明や摩擦を減らすための便利な「ソーシャルプロトコル」だとも言える。デザイナーだけでなく、ファッションやアウトドア、その他の業界やコミュニティでも言えることだ。


そして「見た目の収束」は、実は作業効率化や精神的な省略とも深く関係しているように思う。服装にリソースを使わず、思考や制作に集中する。これはジョブズの黒タートルにも通じる職業的合理性だ。
同じに見えるその外側で、彼らは効率と美意識と自尊心のバランスを取ろうとしている。似てはいるが、決して同じではないのだろう。

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