2025.06.13
雨上がりの香りと聞こえてくる下駄の音
郡上の町を離れてもう20年近くになる。夏の長良川の香り、蛙や蝉の声、田んぼと山と空のコントラスト、石畳の上を歩く下駄の音。山の匂い、川の冷気が混じった空気、よく食べた焼きそばの味、どれも懐かしい。
郡上に限らず、日本の多くの地方では人口が減り、高齢化が進んでいる。文化や教育の継承が危うくなっている。学校は統廃合され、商店街はシャッターが閉じ、祭りの担い手も少なくなる。それはデータでも、感覚的にも理解できる。久しぶりに町に帰ったときに、見慣れた文房具店や駄菓子屋がなくなっていたり、街で一番大きなおもちゃ屋がなくなっていたり、友人の実家の店が更地になっていたりするような、静かで寂しい感覚だ。
僕自身は、都心に暮らしながら便利で快適な都市インフラに助けられている。24時間営業のスーパーも近所に複数あるし、サウナや銭湯もすぐに行ける。本格的なコーヒーを朝早くから飲める店も歩いてすぐだ。行きたい展覧会・展示会にもサクッと行けるし、会いたい人にもすぐ会える。都心の利便性にすっかり慣れてしまっている。
今のところ都内から離れる必要もないし、現時点では離れることは考えていない。インフラ、教育、文化資本を考えると、やはり東京や関東圏は選択肢として申し分ないように思う。
地方の課題は人口減少で、今後はインフラの維持が難しくなると言われている。しかしそれ以上に深刻なのは、教育や文化資本が衰えていくことだと思う。帰省した地元の本屋に昔はあったはずの岩波文庫や講談社学術文庫がなくなって文化資本の衰退を感じた、なんて話があったり、どこの地方でも徐々に起こっている変化のように思う。
これからの地方で大切になるのは、「もとからあるもの」に対する丁寧な観察と、それを未来につなげるためのリフレーミングやリデザインだ。単なる保存でも全面的な刷新でもなく、「その土地らしさ」が自然に滲むような設計をし、持続的に運営すること。
その意味で、文化や教育、風景を「残す」というよりも、「更新しながらつないでいく」ことに希望を見いだしている(郡上市でも、今年から郡上おどりに投げ銭が導入されることになり注目を集めた)。僕らの世代が担うべきなのは、その更新と接続のバランスを取ることだろう。
もうひとつ僕が大切にしたいのは「記憶の中の質感」だ。たとえば、郡上踊りの提灯の色味、下駄の音、屋台の色と熱気、町屋の障子を通した光、冬の朝の静けさ、霜を踏む音。長良川や吉田川の音。飛び込みをする時の緊張感や駄菓子屋のおじさんの表情。数値では測れないが、心や身体を健やかに育ててくれたディテールや質感がそこにはあった。文化とは、そういう細かな質感の集積だ。なくなることは一定仕方がないが、未来に更新しながらつないでいく、未来の子どもたちにつなげる感覚を持ち続けていたいと思う。