コラム

COLUMN:

デジタルの全盛期の時代に、紙媒体について改めて考えてみる

昨年末頃、大先輩であるグラフィックデザイナーの方と久々に飲みに行った。グラフィックデザイナー100選的なものにも載っている、業界では有名なデザイナーのひとりだ。

「最近、紙の仕事が本当に減った。今は何でもデジタルになってしまったよね」

彼が漏らした一言が印象的だった。確かに、かつて目にしていた美しい紙媒体の数々は、随分と姿を消しているように思う。同時に、紙媒体で美しいデザインを作ろうとするデザイナーや職人も、以前より少なくなっている印象がある。

そもそも、この変化の背景には、社会インフラそのものが変わったという事情がある。
スマートフォンの爆発的な普及は、日常の情報摂取や買い物、コミュニケーションのほとんどをデジタルに置き換えていった。雑誌やポスター、パンフレットが担っていた役割は、いまやアプリやWebサイトに吸収され、更新と修正を前提とした「生きた画面」へと姿を変えている。思えば15年前と比べると、雑誌を買うこともなくなったし、本もKindleで買えるものは基本的にKindleで買っている。パンフレットやチラシをもらうことも少なくなった。仮にもらっても、写真を撮って情報だけ記録し、捨ててしまうことが多い。

結果として、デザインの重心も移動した。グラフィックが「情報伝達」だったとすれば、UIデザインは「行動誘導」とも言える。固定された構図から、可変するレイアウトへ。印刷された静的な緊張感や美しさから、ユーザーの操作によって変化するインタラクティブな体験へ。視覚芸術としてのグラフィックから、認知や運動感覚を設計するUIへと重心が移っていった。

一方で、この移行は単なる代替ではないとも思う。むしろ、求められるスキルや視点の層は厚くなったとも言える。UIでは見た目の美しさや情報の分かりやすさはもちろんのこと、ロジック、アクセシビリティ、ユーザビリティ、コンポーネント、デザインシステムといった合理性や実装的な視点も強く求められる。余白構成やジャンプ率、文字組み、文字詰め、フォントの選定や和文欧文混合などといったグラフィックデザインの世界で一般的だった職人的なスキル以上に、画面の読み込みの速さや、アニメーションの適度な速度、複数のデバイス環境を想定したデザイン、フィードバックの心地よさ、文脈ごとの反応性が問われる。

そんな中でも、紙にしか宿らない魅力があると思う。たとえば装丁に施された細やかな箔押し、手触りのある繊維入りの紙、香り、インキの滲みや断ち切りの微妙な揺らぎ。そうした要素は、手にとった瞬間に「テクスチャー」としての存在感を持ち、やんわりと記憶の中に溶け込んでいる。オースティンのダイナーで触ったショッパーの野性的な素材感の紙や、ロンドンで出てきたベーグルを包んだ紙の美しい印刷と素材感の印象は、食べたベーグルや街並みの記憶まで呼び起こす。紙は視覚だけではなく、五感の層を通じて、言葉や構図以上の体験を届けてくれるように思う。これはデジタルにはない魅力だ。

大前提として、グラフィックデザインがUIやUXデザインに負けたわけではない。ただ役割や重心が変わっただけだ。効率や合理性、更新性が重要視されるフローのなかで、紙のように変わらないものが必要とされる場面は以前より減った。けれど逆に、いまだからこそ紙の意味がより深く立ち上がっているのではないかとも思う。たとえば、本当に気持ちを伝えたいときに紙を使うこと。ブランドメッセージを届ける際に、ブランドを体現した手触りや香りの紙を選ぶことのように。

画面の中に広がるデザインと、指先に残る紙の質感。どちらが優れているという話ではない。どちらも必要だし、どちらにも、それぞれの誠実な役割があるように思う。デジタルの世界でも紙のメタファーは利用される。これからはデジタルでも、もっと五感に訴え、味や風景の記憶を呼び戻すようなUIが増えていくかもしれないと感じている。