コラム

COLUMN:

利便性と引き換えに失った、期待感や高揚感

深夜、大学の薄暗いデスクライトを頼りに、僕はボロボロになった都築響一の『珍日本紀行』をめくっていた。錆びた手すり、めくれて剥げた塗装、秘宝館、山奥の林道、秘湯や廃墟。本だけでは得られない情報を埋めるように、2ちゃんねるや個人ブログの奥深くへ潜り、断片的な情報や座標を拾い上げた。

インドに行ったときもそうだった。妹尾河童『河童が覗いたインド』を片手に、デリーの薄汚れたターミナルを歩く。地球は広く、世間は狭い。そしてインターネットは今よりも情報に溢れていなかった。

いま、同じような旅をする場合、インターネットに転がる情報は過剰に親切をしてくれる。noteやX、インスタやYouTubeには情報が溢れ、実体験の動画やドローンでの俯瞰映像があったり、端的にまとまったショート動画もたくさん出てくる。ルートもGoogleマップが教えてくれるし、近くの宿の予約もスマホで簡単にできる。誰もが似たようなコンテンツを目指し、写真を撮り、タグ付けする。15年前はまったく人がいなかったエリア、店舗、銭湯や秘湯には列ができた。情報はすぐにシェアされ、人々の情報の消費が新たな収益を生み、収益が生まれる限りは薄い情報が量産され拡散される。以前は一部のギークしかたどり着けなかった情報が、今はどんな人でも手にいれられる。

おそらく、寂しさの源は情報の薄さや量ではなく、探索の不確かさが失われた点にあるように思う。マニアの人の個人ブログを手繰り寄せ、2ちゃんねるのギークな人々のやり取りを見ながら、時に観察したり、仮説を立て、想像しながら情報にたどり着く過程から旅は始まっていた。偶然や発見という要素が、旅の輪郭を膨らませていたのだろう。

いつからか、以前よりも旅を面白いと感じることが少なくなった。情報が多すぎて、行く前からある程度現地のことが理解できてしまうからだ。『河童が覗いたインド』や『珍日本紀行』、『地球の歩き方』を読みながら、今日泊まる宿も不確かなまま、不安と高揚感を抱えて進んだ荒れた道の記憶と体験は、何よりも変え難いものだったのだなと思う。

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