コラム

COLUMN:

赤ちゃんは、本当に「ばぶー」という

赤ちゃんは、本当に「ばぶー」という。

はじめてはっきりとした「ばぶー」を聞いたとき、思わず笑ってしまった。「ばぶー」は比喩表現というか、ステレオタイプ化された擬声語として使われていると思っていたからだ(キツネがコンコン、みたいな)。

しかし実際には、かなりはっきりと「ばぶー」と言う。こちらの想像以上にその音は具体的で、無邪気で、そしてどうしようもなく可笑しくて可愛い。

子育てを始めて1年が経った。今日はそのことについて書いてみようと思う。

子育ては想像していたよりもずっと楽しく、幸せで、なにより興味深い。

赤ちゃんにおむつを履かせるだけで、想像以上に時間がかかることがある。片足を通した瞬間に、もう片方の足が抜ける。身体をするっとひねられ逃げられる。ようやく形になったと思ったら、またうんちをしてやり直し。服を着させるのも、お風呂に入れるのも一苦労だ。

仕事も運動も勉強も趣味も、それなりに器用にやってきた。それでも、自分にはまだ思うようにできないことがあるのだと知って、思わず笑ってしまった。これまで積み上げてきた経験や知識、スキルがほとんど役に立たない予測不可能な領域に足を踏み入れた気もする。

赤ちゃんは、こちらの段取りなど一切気にしない。

プロジェクト管理も、期待値コントロールも、リードタイムも最適解も仕組み化も、ベストプラクティスも存在しない。

ただ、その瞬間の気分や身体状況だけが、感情の出力結果になる。そして、こちらのタスクや行動をめまぐるしく変化させる。当然、赤ちゃんはこちらの努力を評価してくれるわけでもない。

それでも、気の抜けた「ばぶー」という声を聞いていると肩の力も抜ける。

勝ち負けも、お金も地位も、そこにはあまり関係がない。あるのは、今日も一日が確かに進んでいるという事実。そしてなにより成長が早い。昨日できなかったことが今日できるようになるし、週単位や月単位であっという間に変化する。それに伴って、こちらのリズムやサイクルやオペレーションも変化する。この15年くらいは、仕事やインプットの時間で慌ただしく流れていく毎日だったが、一日一日を大切に生きようと考えるようになった気がする。

子供の日々の成長を見ていて、そして、大人としてそれと向き合いながら感じるのは、「そもそも大人になるというのは、どういう状態を指すのだろうか」という問いだ。

この1年で内省をしながら意識したことを整理してみると、

・完璧さではなく、不完全さを引き受ける余裕をもつ

・先回りするのではなく、すこしだけ待ってみる

・手助けの前に、自分でできるか観察してみたり、見守ってみる

・成果を急がず、焦っている自分に気づいたら、一度立ち止まる

大人になるというのは、他者や世界を思い通りに動かせるようになることではなく、思い通りにならない時間や成長の速度を、こちらの都合で操作せずに、おおらかに引き受けられるようになることなのだろう。

そう考えると、大人になるというのは、まだまだ奥行きがあることなのかもしれない。

赤ちゃんは、本当に「ばぶー」という。

その当たり前が妙に可笑しく、面白く、可愛い。制御不能で予測不能な存在の、突然の気の抜けた「ばぶー」の音に、こちらの生き方や考え方がゆっくり問われているのかもしれない。

All