2025.09.12
パタン・ランゲージの再考
「パタン・ランゲージ」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。建築や都市計画を学んだ人であれば一度は通る道だろうし、デザイナーでも空間デザインや環境デザインに関わる人にとっては比較的馴染みのある言葉だと思う。
僕自身も学生時代に、その書籍や関連書籍を手に取り方法論を学んだ。当時の自分には原書は難解だったのを覚えている。空間をただ形づくるだけでなく、人の営みや文化の積層を観察により読み解き、そこから生まれる「型」を言語のように扱う。「パタン・ランゲージ」は単なる設計手法以上のものを含んでいる。そこには、人の暮らしに寄り添うための知恵の蓄積があり、また同時に、未来の空間をどう描くかという問いも潜んでいるように思う。
いろいろと忘れていることも多いので、改めて調べながら・思い出しながらパタン・ランゲージについて再考したいと思う。そもそもパタン・ランゲージは、建築家クリストファー・アレグザンダーが1977年に発表した理論書であり同時に設計方法論の提案でもある。目的は、建築や都市の設計を「誰もが関与できる知識体系」にすること。専門家の直感や美的判断に頼らず、人々の経験から導き出された共通の「パターン」を通じて、生き生きとした都市設計・快適な都市空間に再現可能にするという思想だ。
特徴的なのは、空間の設計要素を「パターン」として分類し、それらを階層構造で記述した点にある。パターンは単体で完結せず、上位の文脈と下位のディテールの間で意味を持つ。たとえば『A Pattern Language』に登場するパターンNo.106「ポジティブな屋外空間/正の屋外空間(Positive Outdoor Space)」は、建築の外側、つまり屋外空間を「建物の余り」ではなく、独立した形ある場として設計することを提案している。広場や庭が「正の形」として存在することで、人が心地よく感じられるというものだ。その上位には「街路ネットワーク」や「屋外の生活空間」といったパターンがあり、下位には「庭に開いた建物配置」や「建物のL字型配置」などの詳細なパターンが接続されている。これにより、局所的な快適性だけでなく、空間全体として意味のある体験が設計できるようになっている。
この構造は、自然言語の仕組みにも似ている。単語が文法によって接続され、文がまとまり、詩や物語が生まれるように、パターン同士も文脈に応じて接続され、空間の「ランゲージ(言語)」となる。アレグザンダーはこの接続可能性を「パターンのネットワーク(Pattern Network)」と呼び、この柔軟性や余白は単なるチェックリストやマニュアルとの思想の違いを感じる。
特に重要なのは、これが建築家の専有物ではなく、「住まい手」や「まちの担い手」といった非専門家に開かれた設計言語として設計されている点だ。著書には、一般の人が家を建てるときや、住民主体でまちをつくるときに使えるよう、253個のパターンが具体的なテキストと図で記述されている。
この考え方は建築に限らず、ソフトウェア開発やサービスデザインにも影響を与えている。たとえば、UIデザインにおける「デザインパターン」も、ユーザーの行動や環境に応じた最適なインターフェースの設計手法として類似の構造をもっている。(『デザインパターン:再利用のためのオブジェクト指向ソフトウェア』(1994)でアレグザンダーの影響を明記)
また近年では、都市計画や制度設計、教育プログラムなどの分野でも、現場の知見をパターンとして形式知化し、他者と共有する方法として再評価されている。特に「縮退都市」「地域自立型経済」「子育て共助」など、複雑な課題が絡む社会設計において、パターンによる思考の整理と再利用は有効だと感じる。個別事象を単体で判断・議論するのではなく、共通する構造を見つけ、他の領域に接続できる知識として出力するイメージだ。
僕がよく使っている言葉や手法に当てはめると、パターン化を分類、もしくは構造化、共通する構造を発見することをシンセシス、あるいは統合、他の領域に接続できる知識とするのはアナロジー、もしくは類推という言葉で、それを自然と実施している。こうした作業を通じて、設計は属人的なものではなく協業を前提とした継承の対象になる。余談だがあるスタートアップを立ち上げる際に、徹底的にこれを意識してUIやブランドを作った。当時、創業1年に満たない会社がここまで構造化・文書化・システム化されていることにVCや求職者からも驚かれた。しかし、僕が永続的に関与しない前提だったため、「協業を前提とした継承」は必須と考え、その前提で設計した(これについても別途どこかでまとめたい)。
パタン・ランゲージは日本の都市計画や地域の設計にも大きな影響を与えている。例えば、富山県氷見市のまちづくりは「現代版パタン・ランゲージ」とも言われているし、磯崎新らが設計に関わった慶応SFCは、パタン・ランゲージの考え方を背景に「柔らかい都市構造」を意識して建物配置や街路のパターンがつくられている。神奈川県真鶴町も「美の基準」というパタン・ランゲージを参考にしながら1994年に作られたまちづくり条例がある。美はBeautifulの美ではなく真鶴のLife、つまり生々しい生活を言葉にして集めたもので、真鶴町の住民が昔から受け継いできた生活の様式や作法を体系化したものだ。このようにパタン・ランゲージの思想や理論は、現代社会における都市計画・公共建築・教育・デジタル分野の開発・行政運営にまで大きな影響を与えている。
もちろん、注意すべき点もある。パターンは万能ではないということ。そして具体の罠にハマらないということ。文脈や理解を読み間違えると、逆に陳腐なテンプレートになってしまう。重要なのは、観察と修正を前提とした「生きた言語」として扱う姿勢だ。つまり、パターン・ランゲージとは静的なマニュアルではなく、動的に進化し続ける知識のフレームワークとも言えると思う。これはデザインシステムやブランドマネジメントでも同様に言える。
最後に、設計やデザインとは、本質的には言語的な行為である。「何をどのように配置し、誰とどんな関係を生むか」を論理的に語りうること。それが、設計を「再現可能なもの」にする鍵でもある。パターン・ランゲージは、専門と非専門、直感と構造、個人と集団のあいだをつなぐ汎用インターフェースとして、これからも設計の基盤になり続ける考え方だろうと思う。