2025.10.03
なぜ日本でDXが進まない?DXと第二次世界大戦の構造的類似性
DXという言葉が広く浸透して久しい。しかし、日本企業の多くはいまだ本質に到達していないように思う。SFAやCRM、CDP、MA、CommerceやBIといった個別ツールの導入は進んでいるが、それが企業全体の設計思想や戦略に基づいて合理的に統合されている例は稀だ。結果として、部門単位での部分最適に留まり、全体最適には届かない。
対照的に米国企業では、明確なビジョンと経営戦略に基づき、合理的なアーキテクチャを先に描く。その上でオペレーションを設計し、大胆な投資を行うことで既存事業の価値をさらに高めている。
DXを「部分的な効率化」ではなく「事業構造の刷新」と捉えている点が大きな違いだ。
この構図は第二次世界大戦における日本とアメリカの差異に似ているように思う。
旧日本軍は現場の創意工夫や勇気に依存したが、中央の指揮は不十分で、兵站や補給線が破綻したまま戦闘を続けることになった。ガダルカナル島やインパール作戦などがまさにそうだ。局地戦では善戦しても、戦略的な勝利にはつながらなかった。一方、米軍は全体戦略を描き、補給を含めた仕組みを先に整えたうえで作戦を遂行した。トップの意思決定が構造を規定し、その上で現場が動いたのである。
日本企業はしばしば「現場が強い」と言われる。映画『シン・ゴジラ』では、省庁の縦割りや形式的な会議が危機対応を鈍らせる一方で、若手中心の現場チームが省庁の壁を超え迅速に動く姿が描かれた。『下町ロケット』や『Project X』も同様に、現場の汗と工夫が物語を動かす。
このように、日本の物語世界では「トップの意思決定」ではなく「現場」が主役になりやすい。文化的背景としての現場主義は、私たちが無意識に好むストーリーでもあるのだろう。
だが、現場が強いことは同時に限界も抱える。特に「現場に合わせてシステムを設計する」という発想は、DXにおいて大きな足かせになる。現場の要望を積み重ねた結果、スクラッチ開発や属人化が進み、非合理なアーキテクチャが構築される。
逆に米国企業は、ビジョンから逆算し、SaaSやAPI連携を前提に合理的なシステムを先に設計する。オペレーションはシステムに適応させていく。つまり「現場に合わせるのではなく、未来像に合わせる」アプローチである。
ある米国大手アパレル企業は、レガシー基幹システムをすべて見直し、顧客データをCDPに統合した上で、オンライン・店舗・コールセンターといった顧客接点を横断的に連携させた。導入初期には混乱が生じたが、3〜5年の計画を前提に変革を進め、現在では顧客生涯価値の最大化につながっている。
小売に限らず、金融やヘルスケアなど他業界でも同様の事例が増えており、これは特殊な成功例ではなく、もはや普遍的な潮流だろう。
DXとは単なるツール導入や業務効率化ではない。その本質は「顧客に届ける価値を最大化する仕組み」を根本的に設計し直すことにある。顧客接点・提供価値・組織の動き方・意思決定構造すべてを見直す営みだ。
当然、そこには痛みや摩擦が伴う。しかし、未来の事業像から逆算して必要な仕組みを設計する。このバックキャスティングの姿勢こそがDXの核心だ。
日本企業が「現場力」を本当の意味で活かすためには、経営が全体構造を描き切る勇気と意思決定が不可欠である。現場力に頼りすぎれば現場は疲弊し、現場力を美談化しすぎれば、合理的な若い人材ほど外資ITやコンサルなどに流れていく。
現場主義の物語に酔うのではなく、経営の意思によって合理的な未来像を示す。その先にこそ、現場が本来の強さを発揮できる環境があるはずだ。