コラム

COLUMN:

信頼関係の蓄積が、ブランドをつくる

ドラッグストアで見かけた「見覚えのあるロゴ」が印刷された新製品を無意識に手に取っていた。使ったことがあるわけでもなければ、レビューを見た記憶もない。でも、パッケージとロゴを見た瞬間に「これは大丈夫」という感覚が生まれた。隣に置いてあったPB製品に感じない信頼感だ。そのことに気づいたとき、ブランドと信頼の関係について改めて考えさせられた。

僕たちは日々、数えきれないほどの選択をしている。コーヒーを選ぶ、アプリをインストールする、ホテルを予約する。情報が溢れるいま、選ぶ理由の多くは「信頼できるかどうか」になっているように思う。合理的な比較よりも、「なんとなく信じられる」という感覚のほうが、日常の意思決定を支えている。(人間関係も少なからずそういうことがある)

特にAppleはその典型だ。Appleの製品を使っていると、ユーザーインターフェースの一貫性、パッケージの質感や開け心地、Apple Storeの店舗体験、ECでの購入体験に至るまで「よく考えられてるな」と感じる瞬間がある。それは単純に使いやすさという以上に、「自分が見えないところにも手が届いている」という安心感に近い。製品そのものだけでなく、それを取り巻く「環境ごと信頼」されている。それは、意図的に設計された「態度の成果」だと感じる。例えば、モバイルバッテリーなどを製造販売するAnkerもその一つで、製品の品質はもちろんのこと、パッケージの手触り感や、シールの剥がしやすさまで徹底されているので、安心感・信頼感のあるAnkerをNo regretで選択することは多い。

ブランドは本来、差異化のための記号だった。けれど、現代においてはそれ以上の意味を持つ。「このブランドが提供するなら、ある程度安心だろう」という信頼の担保として機能している。逆に言えば、どれだけデザインが整っていても、細部にブレがあれば信頼は揺らぐ。ロゴが美しくても、問い合わせのレスポンスが乱雑だったり、インターフェースが分かりづらかったり、店頭の空気が不揃いだったりすれば、どこかで不信が芽生えてしまう。

少し前、仕事で関わったブランドがある。商品の完成度は高いのに、ECサイトの作りが悪く、説明文もどこか素っ気なく気が利いてない。配送の梱包もベストな状態ではなく配送も遅れがちだった。結果的にリピート率が伸びなかったが、その原因はプロダクトではなく顧客との接し方にあったように思う。ユーザーの体験全体がブランドの一部であるという意識が、現場にまで浸透していなかったのだと思う。

一方で、無印良品はどうだろうか。空間、商品、言葉の選び方、店頭の音楽や包装、ショッパー等に至るまで、「無印らしさ」という静かな軸が流れている。その軸は、多くを語らないが、簡単には揺るがない。生活の中に無印のアイテムがあるとき、そこには「主張しないけれど、きちんと存在している」という安心がある。生活の中で「こんな商品あるといいな」と思っていたものが、無印良品に行けば必ずあるという安心感もある。「気の利いたアイテムが、無印良品ならきっとある」「いつ行っても変わらない」と感じさせる安心や信頼を持っている。例えば、ジェントルモンスターなどのブランドとはまた違う、過度な演出や表面的な美しさよりも、空気のように滲み出る態度が、無印のブランド(信頼と安心感)を育てている。

結局のところ、ブランドとは「信頼関係の蓄積」そのものだ。口先の言葉より、毎回同じように応対されること。誰かに褒められるより、誰にも見られていない部分が丁寧であること。そんな誠実さが繰り返されて、やっとかたちになるのがブランドなのだ。

僕たちは、日々「伝える」ことに追われがちだけれど、「伝わってしまうこと」にもっと敏感でいたい。自分たちが築こうとしているブランドは、いま何を滲ませているのだろうか。その問いを、丁寧に見つめ直す余白を、これからも持ち続けていたい。