2025.09.05
海の幸と里山に満たされた、勝浦の海岸線
東京から車で約2時間。早朝の高速を走りアクアラインを渡って太平洋側へ抜けると、勝浦の海が静かに迎えてくれる。真夏の喧騒から少しずれた6月、まだ観光のピークには遠い朝の海辺には、地元の漁師と犬の散歩をする夫婦しかいない。初めて勝浦に訪れた目的はサーフィンだったが、波の具合よりも、最終的にこの街の気の抜けた空気の透明さに心を奪われた。以降は毎年のようにサーフトリップなどでこのエリアに訪れている。
千葉の南東部に位置する勝浦は、房総半島の複雑な地形に抱かれた小さな港町だ。都市部からの距離感が絶妙で、思い立って行けるけれど、日常からは確実に離れられる。しかも、この街は「猛暑知らず」と呼ばれるほど涼しい気候を誇り、気象庁の観測史上一度も猛暑日を記録していないことでも有名だ。ここ最近の夏は死ぬほど暑いので、このネタは得に擦られているように思う。夏は涼しく冬は暖かい。気候が快適だと、それだけで暮らしに豊かさや余白を与えてくれることがある。
商業的な観光地とは少し違い、過剰な装飾や演出がない。白馬や野沢、軽井沢や御代田などの山側エリアともまた違う、湘南や千葉の一宮エリアなどのサーファーの街とも違う空気がある。海も山もあるが、どこか控えめで素朴。そこがちょうどいい。海辺に出れば港の向こうに広がる水平線があり、緑の里山へ少し入れば季節ごとに変わる風景が迎えてくれる。サーフィンや釣りといったマリンアクティビティを楽しむ人もいれば、山歩きや畑仕事に没頭する人もいる。自然の多様な顔が、暮らしの選択肢を広げてくれる。
勝浦の朝市は有名だが、僕が印象に残ったのは、通りに点在する古い木造家屋や小さな喫茶店や小商いだった。リノベーションも過剰ではなく、つくり手の目線が使う側に近いことが伝わってくる。もちろん、ここに暮らす人にとっての大きな恵みは海の幸だ。全国有数のカツオの水揚げ量を誇り、朝市には獲れたての魚介や特産品が並ぶ。ここには、港町ならではの食文化が日常に根付いている。余談だが、サーフィン後に地元の魚屋さんで魚を買って東京に帰ることもある。東京で買うより断然安くて大きい、そして新鮮で美味しい。近所にこういう店があったら通うのにと思う。
ある週末、友人達とトリップにいった際、「勝浦のような場所に、もっと働ける余白があればいいよね」と話した。単にリモートワークの意味ではなく、都市と自然のあいだで思考を切り替え、創造力を回復する拠点としての可能性について考えた。都心から車で約2時間。アクセスの良さはそのまま二拠点生活の現実味を帯びさせている。コロナ禍をきっかけに移住やワーケーションの流れが広がりつつあるが、大規模な資本の投下を感じるよりも、小さな単位での動きが主な勝浦はその適度な距離感がむしろ心地よい。
以前は南房総や外房エリア全体を目的にサーフトリップなどで訪れていたが、勝浦を目的に訪れるようになったのもある。勝浦にサウナが出来たのも大きい。海に入り、サウナに入り、地元のお店で食事をとる。それだけで、ふだんの視野が少しずつ解きほぐれていく。気候は穏やかで、海の幸は豊か。勝浦は空間的にも時間的にも急かされない、スローでチルな空気が確かにある。
これから全国各地にリトリートやワーケーション施設が増えていくとしても、単にファシリティや機能を揃えるだけでは不十分だと思う。大切なのは「そこに身を置く理由」が自然に湧いてくる場所であること。勝浦には、その理由がもうすでにあるように思う。都市と自然、日常と非日常、思考と感覚。そのあいだを「ゆるやかに接続する環境」として、勝浦はこれからもっと注目されていくだろうと思う。しかしながら、何事もあまり加熱しすぎず、今の透明な空気感のままでいて欲しいとも願っているのである。