コラム

COLUMN:

自立と依存、自立と孤立

「自立とは依存先を増やすこと」

この言葉に出会ったのは、数年前のことだ。東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎さんの言葉。「依存先を増やすことが自立である」という逆説的な考え方は、それまで自分の中にうっすらとあった考えに輪郭を与えてくれたように思う。

20歳前後の僕は「しっかりした大人とは、誰にも頼らず自分の力で立てる人だ」と信じていた。けれどそう思いながらも、仲間に頼ることで支えられている自分の存在や、居場所やコミュニティが増えていくことでむしろ精神的に強くなっていく自分の存在にも気付いていた。

日々の暮らしは、よく見れば依存の連続だ。蛇口をひねれば水が出る。スイッチを押せば電気が点き、エレベーターや電車に乗る。友人と食事をする。困った時は親やパートナーに頼る。知り合いのお店。帰れば居場所のある故郷。自分以外の誰かが作ったシステムやコミュニティに支えられている。

逆に、依存先が少ないと脆くなる。特定の人、ひとつの思想への依存、偏った居場所やコミュニティ。依存先が少ないと、それを失ったときに立ち直れなくなる。でも、依存先を分散できていれば一つが崩れても他が支えてくれる。投資の考え方とも近い。分散してリスクヘッジする。そう考えると「自立」とは孤独に耐える力や、誰にも頼らず成し遂げる能力のことではなく、頼れる場所を複数持つ心構えのことなのかもしれない。

僕は10代の頃からよく「自立してる」とか「自立してそう」と言われることがあった。一生懸命、自立しようとしていたから当然か。けれど実際には、頼りになる仲間が周りにたくさんいて、複数のコミュニティを持っていることが、そうさせているのかもしれない。

思えば、友人や知人が難しい相談をしてきたときには、「僕の意見だけじゃなく、いろんな人の話を聞いてみて判断して」と伝えることが多かった。無意識に「依存先を増やしておくこと」の重要性を勧めていたようにも思う。

一方で、最近よく耳にするのが「人間関係リセット症候群」という言葉だ。人付き合いに疲れたとき、あるいは何かに傷ついたとき、連絡先を消し、SNSを退会し、これまでの関係をゼロに戻す人が一定いる。そのリセットは本当にゼロから丁寧にやり直すための準備になっているだろうか。もしかすると、依存先が少ないことによる息苦しさや、不器用なつながり方の蓄積が限界に達した末の「孤立の選択」になっているのかもしれない。

もし「自立」が依存先を増やすことだとするなら、その対義語は依存先の少ない「孤立」なのかもしれない。「自立」と「孤立」。この違いは「頼れる人やコミュニティ、物理的な場所やインフラの数」に左右されているのかもしれない。

人とのつながりが少ないと、自分の輪郭を保つのは意外と難しい。僕たちは誰かと関わり、言葉を交わし、影響を与え合いながら「自分はこういう人間なんだ」と少しずつ確かめていくようにも思う。だからこそ、どこかに緩やかに身を預けられる場所や人が複数あること。それが、現代社会を生きるうえでの精神的な安心や強さに影響しているのかもしれない。

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