2025.10.31
わからないものを前にすると少し謙虚になれる
子どもの頃。夜になれば、まるで漆黒のような田舎。息を潜めながら空を見上げていた。星座を覚えるためでも、何かを願うためでもなく、底冷えを感じながら、食い入るように星の光を見ていた。よく晴れた冬の空は、どこまでも奥行きを感じ、その奥へ奥へと心が引き込まれていく感覚があった。自分が少しずつ溶けていくようで、それが少し怖くも感じたし、どこか心地よかったのを覚えている。
内容はきちんと理解できなくても、当時の雑誌「Newton」の宇宙特集を思い出す。星や銀河の誕生、地球の形成、人類の抱える課題や未来の可能性。そんなスケールの大きな話が、図解や写真とともに並んでいたのをおぼろげに覚えている。
大人になった今も、宇宙の話を聞くとワクワクする感覚がよみがえる。例えば映画でも、「2001年宇宙の旅」や「ブレードランナー」、比較的最近だと「インターステラー」や「オデッセイ」に「ゼロ・グラビティ」などは見ていてワクワクする。広義では「マトリックス」や「エイリアン」も大好きだし、シドミードやギーガーも、キューブリックもリドリースコットの作品も世界観が大好物だ。
話は戻り、宇宙は本当に興味深い。ある銀河の暗黒物質の重力が周囲の空間を歪めたりするらしい。その歪んだ空間を通ってきた光は本来のまっすぐな道ではなく、曲がった形で地球に届く。結果として僕たちが望遠鏡で見る遠くの銀河は、本当はそこにない場所に映し出されたり、引き伸ばされたり、曲がった形で見えてしまうことがある。
この世界は、思っているよりずっと柔らかくて、思ったよりも不確かだ。
宇宙のことを少しでも学ぶだけでも、人間の小ささがよく分かる気がする。地球は太陽の周りをまわり、その太陽系は天の川銀河の中でぽつんと存在していて、その銀河の単位がまた何億、何兆とあるうちのひとつに過ぎない。しかも、そうした星々の材料になる物質は、宇宙全体のほんの4%程度だと言われている。残りの96%は、暗黒物質や暗黒エネルギーと呼ばれ、正体すら分かっていない。人類は我々を囲む物質の正体が分からないまま、今もこうして暮らしている。
その「分からなさ」が、宇宙の魅力だろう。分からないからこそ人は望遠鏡を向け、探査機を飛ばし、いつか届くかもしれない微かな信号を待つ。
宇宙に始まりがあったこと、銀河にも寿命があって衝突で若返ることもある、そういう話を聞くたびに、宇宙がすこし人間的に見える。老いて、出会い、混ざり合い、また生まれ変わっていく。その時間のスケールは途方になるほど長く、僕たちの生活のリズムやスケールとは並べられないものだけれど、それでもどこか通じるものを感じる。
もし、宇宙を知ることの意味、宇宙を調べる理由を問われたら、僕ははっきりとは答えられない。ただ、分からないものを前にして謙虚になることの意味を宇宙から学ぶことがある。何気ない夜に、ふと立ち止まって空を見上げるとき、小さくなる自分を感じるのも悪くないのだと思う。