コラム

COLUMN:

ロゴを変える、変えないの分水嶺はどこにあるか

知人やその紹介でブランドや事業の立ち上げ、経営課題などについて相談を受けることがある。話題はプロダクトやブランドから、ニーズや市場環境など幅広いが、ロゴ単体に対する相談も多い。

とりあえずロゴを作りたいという話から、デザイン会社に作ってもらったロゴ案をいくつか持ってきて「どれがいいと思う?」と相談されることもあるし、現状のロゴを変えようか迷っているがどう思うか?という相談もある。振り返るほどに、ロゴは不思議と面白い対象だ。

これまで多くのロゴデザインやリブランディング案件に関わってきたが、その理由は実にさまざまだ。「時代に合わせてスマホでの視認性を上げたい」、「海外展開を見据えて統一感を持たせたい」、「なんとなく古びた印象を新しくしたい」、「買収の結果、ロゴをリニューアルしたい」、「経営者の一存やエゴ」など。ただ、「本当に今、ロゴを変えるべきか」は、いつも慎重に見極めたいと思っている。

JALの「鶴のマーク」は引き合いに出されることも多い。80年代〜90年代のCIブームの流れで、JALは「鶴のモチーフ」をやめて「テキスト主体」のロゴに置き換えた。けれど、その後経営破綻を経て再生するタイミングで、再び鶴のモチーフをロゴに戻した。もちろんロゴだけが要因ではないが、ブランドの信頼や歴史を象徴するマークを安易に変えたことが、結果的に何を意味したのかは重く考えさせられるし、再起の旗印として鶴が戻ったことも興味深い。

一方で、ロゴの刷新が企業の変化にしっかり寄り添い、未来を示す旗印になる例もある。IBMは、巨大メインフレームの会社から情報社会のインフラを支える企業へ変わる中で、1972年にポール・ランドが設計した水平ストライプのロゴに置き換えた。テクノロジーの速度や透明性を象徴するストライプと、ビッグ・ブルーの青色は、単なる見た目の話ではなくIBMがこれから向かう方向性を象徴したデザインだったと思う。

Mastercardもまた、プラスチックカードからスマホやウェアラブルへと決済の舞台が変わる中で、2016年にPentagramと共にロゴを再設計し、2019年には「記号のみ」のロゴを正式採用した。画面の小さなアイコンとしても、数メートル先の看板としても、一目でMastercardと分かる。このリデザインは物理からデジタルへの移行、つまりビジネスやそのものの変質に伴う必然的な変化だった。

もちろん、ロゴを変えないことで長い時間を繋いでいるブランドもある。カルティエは創業以来ほとんどロゴを変えていないし、コカ・コーラもまた100年以上にわたって筆記体のスクリプトを守り続けている。Nikeのスウッシュ(チェックマーク)は1971年に誕生して以来、基本形は変わっていない。

LOUIS VUITTONのモノグラムは1896年に誕生して以来、デザインのバリエーション(ダミエやカラフル版)は増やしても、本質的なロゴは変えていない。余談だが、LVはブランドのコアをしっかりと守る一方で、現代アートやコラボで「遊び」を加えながら、時代の感性を柔らかく更新している。

そこには単に過去に執着するのではなく、「変わらないこと自体が価値を増幅する」という、また別の時間の捉え方がある。

ロゴは、瞬間のデザインではなく、時間を受け止める「器」だと感じる。

そこには、そのブランドが何を価値の中心に据え、誰とどの時間軸で関わっていくかという意思が刻まれている。だからこそ、流行や社内事情だけで簡単に変えていいものではない。もし変えるなら、そのタイミングは企業そのものの大きな変化と、社会環境が大きく転換するときこそふさわしいと言えるだろう。

時代に合わせて柔軟に形を変えることと、変えずに抱え続ける頑固さ。

そのどちらが正しいとも言えないが、少なくともロゴに込められた時間や関係の重みを理解しているかどうかが、最終的な判断に深みを与えるはずだ。僕はその分水嶺を正確に判断できるよう、日常や世界で起こっている変化やトレンド、そして変わらないモノを、今後も丁寧に観察していきたいと思う。

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