2025.10.10
大胆でシンプルなKPIを設定することの重要性
優秀な経営者や成長している企業や組織はKPI設定がうまい。組織の重心をどこに置くべきかを理解し、そのために一番ふさわしい数字を見極める力があるということだ。
逆に言えば、KPIを違えると組織は簡単におかしくなる。僕自身もさまざまな組織や事業と関わってきたが、KPI設定ひとつで組織や事業のファンクションやカルチャーが逆方向に進んでしまうケースを何度か見てきた。
よく見るのは、「KPIを階層化しすぎて複雑になりすぎている」「KPIを羅列しているだけで選択がされていない」などだろう。
例えば、とある自動車メーカーでは、全社KGIとして「2030年までに電動化比率50%」を掲げていた。これ自体は市場の潮流に合った一見すると正しい方向性だ。しかしその下にぶら下がるKPIが問題だった。開発本部は「新型電池の歩留まり98%」「プラットフォーム統合数」「車載OSの重大バグ件数」などを部門ごとに細分化し、販売は販売で「残価設定ローン比率」「営業店1店舗あたり試乗数」、CSは「アンケート回収率」。50〜60を超えるKPIが並び、それぞれが「重要KPI」とされた。(なお、ここで書いてある事例は、特定できないように業界や内容を抽象化・類推して説明している)
当然、経営会議は毎回分厚い資料になり、役員は自分の所掌範囲の数字だけを報告する。結果として経営会議は全社の優先順位を決める場ではなく、各部門が自己弁護を行う場に変質していった。経営トップが「結局、いまどのKPIに一番資源を投下するべきなのか」を明確に示せないまま数年が経ち、その間に新興EVメーカーは一気にシェアを伸ばした。
同じような構造は、金融や通信業界でもあったりする。ある会社では「非金利収益比率30%」「デジタルチャネル比率80%」を全社KPIに置き、さらに支店単位で「紙書類削減率」「デジタル口座開設件数」「WEB取引比率」などを設定。最終的に個人MBOレベルまで細分化しすぎて、現場では「どうやって数字を作るか」が目的化。業務の本質的な顧客接点やサービス品質は後回しになり、むしろクレームが増えた。
これらの例に共通するのは、「KPIを並列や階層で多く持ちすぎて、どれがもっとも重要かが見えなくなる」ことだ。数字が多いほど企業は管理ができている気になるが、実態は完全に逆で、多すぎるKPIは組織のエネルギーを分散させ、結果的にどの数字も大きく動かない。
対照的に、例えばイーロン・マスクのKPI設定は大胆でシンプルだ。
SpaceXでは、普通ならロケットの推力や耐熱性能、重量あたりのコストなどを目標にしそうなところを、徹底して「部品数を減らせないか」という問いを中心に置いた。開発レビューでは部品一つひとつについて「なぜ必要か」を繰り返し問い、説明できなければ削除させた。部品を減らせば製造コストが下がり、整備性が上がり、打ち上げ失敗時のリスクも下がる。理屈で言えば当然だが、そこを開発チーム全体の最優先テーマに据える発想は常識から大きく外れている。
テスラでも同様だ。軽量化や空力だけで航続距離を稼ぐのではなく、「とにかく電池を積む」設計思想を持った(特に初期フェーズにおいて)。もちろん電費効率で言えばもっと優れたEVもあるが、大容量のバッテリーを前提に開発を進めたことで、熱制御やシャシー設計、電装の信頼性が一気に鍛え上げられた。結果的に長距離EV市場での優位性は揺るがないものになった。また、溶接部品の削減をすることで、製造工程のシンプル化やコストの削減をした事例もある。
こうした「潔いKPIの絞り込み」はイーロン・マスクだけではない。
例えばAmazon。ジェフ・ベゾスは創業期から「株価や売上をKPIにするな」と繰り返し発言してきた。代わりに置いたのは、配送スピードと顧客体験だった。社内では長く「出荷から顧客へのお届けまでの平均日数」が最重要指標とされ、その数字を短くするために物流センター投資を逆算で決めていった。AWSの稼働率(ダウンタイム)をKPIのように絶対視したのも同じだ。これらは顧客体験を最大化するためのシンプルな指標であり、結果としてアマゾンは株価や時価総額を追わずに市場の王者になった。
NIKEも印象的だ。売上成長率や営業利益率より先に「売上に占めるD2C比率」を最重要の数字に置き換えた。これがあることで、世界中のナイキストアやアプリ、デジタルサービス、さらには在庫や物流システムまでが一気に再編された。D2C比率という単純なKPIが、全社の資源配分やデザイン投資の意思決定をほぼ自動的に決めてしまったと言ってもよい(一方で、D2Cに振り切りすぎて現在苦戦中ではあるが)。
僕は並列にたくさん網羅的に並べられたKPIを見ても、階層的にMECEに整理されたKPIを見ても何の価値も感じない。
大前提、「KPIは最小限にすべき」と思っている。そのほうが組織の判断が速くなるし、無駄な議論や施策、報告、管理コストも減るからだ。KPIが示す意味は誰もが即答できるくらいクリアでなくてはならない。
日本の企業に足りないのは、こういった大胆でシンプルなKPI設定ではないか。管理するKPIの数を増やして網羅性を担保するのではなく、一つの数字で組織全体が動くレバーのような、そんな数字を発見して正しく設定すること。少なくとも、ミドルマネジメントやトップマネジメントに求められているのは、複雑さの中で賢く振る舞うことではなく、全員が迷わず動ける軸となるKPIを定めることだろう。