コラム

COLUMN:

錯乱のエスプレッソ

都内の裏路地で、朝早くから営業する小さなコーヒー屋に立ち寄った。大きな2連のマルゾッコのエスプレッソマシン。バリスタの距離感、タンピング、目線、一連の動きが心地良い。グラインダーとスチームの音が僕の眠気を覚ました。街のコーヒー屋を観察するときは、細かな技術よりも「場の温度」を測りたいと思っている。

日本におけるエスプレッソスタイルのラテ文化はスターバックスが1996年頃に持ち込み、大衆化させた。それから約30年が経過し、日本の都市部ではエスプレッソマシンを入れたコーヒー屋が日常の風景になった。インバウンドの増加もあり需要は拡大しているが、供給過多を感じることもある。シングルオリジンで提供する店も増え、コーヒーのみでは差別化が難しく、正直なところコモディティ化していると感じる。

ここで問うべきは、市場が飽和する前に「どのような体験設計をつくるか」それを「持続的かつ一定のクオリティで提供し続けるか」という問いだ(プロダクトがコモディティ化するのならサービスで差別化するというシンプルな問い)。米国西海岸で成功した BLUE BOTTLE COFFEE も、最初期の投資は焙煎機やマシンより「立ち止まれる余白」の演出だったと聞く。店の体験デザインへの投資がリピーターを増やしブランドを支えた。抽象度の高い投資こそ、のちの定着率を底上げするとも言われる。

改めて、エスプレッソやラテ、スペシャリティコーヒーブームの加熱を要素化してみる。

第一はプロダクトの熱量。豆の産地情報や焙煎プロファイルが高度化し、味覚の評価軸が細分化された。第二はサービス・コミュニティの熱量。SNSで共有される友人間や店員同士の写真やタグ、そこで偶発的に生まれる会話や新しい人との出会いは、都市のささやかなコミュニケーションインフラにもなりつつある。第三は空間の熱量。光、音、動線、香り、演出、会話。インテリアや建築的な評価だけでなく、全てのエクスペリエンスが顧客の感情のサーモグラフィを左右する。これら三層の温度差を均すのか、どう際立たせるのかが、今後生き残るコーヒー屋のKSFになると感じている。

また、ECやサブスクリプションという第四のレイヤーの存在もある。コロナ禍で特に注目されたPostCoffeeなどの月額制で豆とストーリーを届けるサービスは、D2Cモデルをコーヒー業界に持ち出した試みだ。配送箱の厚みや開封時の香りまでが合理性と体験価値になり、遠隔地のファンにまでサービスを提供する。これまで商圏ビジネスだったものが、新たな経済圏を作り出していることも、今後の一つの解になるかもしれない。コロナ禍を経て一定の落ち着きを見せてはいるが、ECやサブスクリプション領域はまだまだ生き残りのためのKSFが潜んでいると感じる。

いずれにせよ、供給過多気味にある現在のコーヒー市場。

エスプレッソスタイルの雄であるスターバックスコーヒー日本一号店から約30年、スペシャリティコーヒーの雄であるブルーボトルコーヒー日本一号店から約10年。日本におけるコーヒー市場の成長期から成熟期の期間は過ぎ、今後は飽和期に入っていくフェーズにあると思われる。これからの店舗は、単にコーヒーを提供する場所から、温度のあるメディアのように変わっていくのではないかと、ぼんやりと感じているのである。