2025.04.25
スクランブルの上に重ねられた空
夜行バスで初めて上京した十代の頃、渋谷駅の下水道から漂うあの嫌な匂いを、僕はいまも覚えている。高架下のダーティーな雰囲気、宮下公園の脇に掘っ立て小屋を連ねて暮らすホームレス。その横でスケートをするめちゃくちゃ上手いスケーター達や、併設のボルダリングやフットサルコート、薄明かりの中で踊るダンサーの姿もあった。
あれから二十年。駅を降り立つと、かつての面影はほとんどなく、代わりにガラス張りのペデストリアンデッキが空中を貫き、頭上では巨大なビル同士が交差している。道路は整備され、確かに歩きやすくなった。けれど、あの頃の雑多でドラマのある街の魅力は少し薄れ、どこか退屈な街になった気もする。
昔からある喫茶店に入り、渋谷の変化を懐かしく感じ、その変化を3つの層に分けて整理してみた。
まずは「物理レイヤー」。2012年のヒカリエ開業を皮切りに、駅周辺では渋谷スクランブルスクエアや桜丘の再開発が続き、2027年頃までに延床面積はヒカリエ前のおよそ1.5倍以上に膨らむと言われている。オフィス需要に応える形で高層ビルが次々と建ち並び、街は少しずつ「大人のオフィス街」の顔を持つようになった。その一方で、人の流れは空中デッキや地下通路へ分散し、都市機能が三次元に再配分された結果だろうか。駅周辺の雑多で濃密で、魅力的だった印象は少し薄れた気がする。(もちろん訪れる外国人は増えてはいるけれど)
2つ目は「経済レイヤー」。渋谷はかつて、ファッションや音楽などの「カルチャー」を買いに訪れる街だった。けれど最近は飲食やカフェ、ワーキングスペース、サウナなど時間を過ごす街へと少しずつ変わりつつある。街の経済構造そのものが、物販の回転率から滞在時間を価値に変える方向へとシフトしているように感じる。同時に、東急はGoogleを誘致したり、日系大手ITやゲーム会社がオフィスを構える街になり、高単価な需要を見込んだ飲食や商業施設が増えた。地場の小さな店舗は家賃についていけず徐々に姿を消し、街は少しずつターゲットを変えていく。賑わいは続いていても、歩いている人は以前と違う。経済的な層の入れ替わりが、この街の景色と人に変化をもたらした。
最後に「文化レイヤー」。昔の渋谷は、若者も大人も高齢者も、スケーターもIT企業の人も、それぞれの理由で街に集まり、同じ道を歩き、同じ飲食店や喫茶店を使うことも多かった。そこで偶発的に人やカルチャーが交差して混ざり合い、カオスが魅力のある空気をつくっていた。しかし現在の渋谷は、再開発によって空間が明確にゾーニングされつつある。若者はミヤシタパーク、大人はスクランブルスクエアやヒカリエのレストラン街といったように、街は整理され、年齢や属性ごとに居場所が分け与えられた。渋谷は再開発と共に、徐々に「人とカルチャー」の「偶然の交差」を減らしながら、少しずつ姿を変えているように思う。
再開発はときに「置いてきぼり」も生む。駅地下に直結したミヤシタパークでは、旧宮下公園を寝床にしていたホームレスの避難先が議論になった。都市の余白と呼ばれた高架下は閉じられ、代わりに均質な商業施設が並ぶ。光の届かない隙間が減るたび、街は安全や利便性と引き換えに、偶然やドラマ、文化、奥行きのある魅力を少しずつ失っていくように思う。
まだ工事中の桜丘に立つと、重機の向こうで残る木造長屋が斜めに傾き、解体を待つ静けさと虚しさを感じさせる。ちょうどこのあたりで昔、友人とビールを飲んだ記憶がよみがえるが、道路の形が変わっているので正確な場所はもう思い出せない。この街の変化は、誰に向けたものなのだろう。変化に巻き込まれた住民か、完成を待つ未来の利用者か、それとも街そのものなのか。
この街は、いくつもの時間が重なってできている。古い匂いも、新しい光も、複雑な層の中に混ざり合っている。次にどんな時間を積み重ねるか。それを選ぶのは、ここを行き交う今の人々であるべきだろう。