2025.04.04
電気羊はミッドセンチュリーの夢を見るか
こないだ建築家の友人と会話していたら、「なんだかんだミッドセンチュリーが一番いいよね」という話で盛り上がった。
ミッドセンチュリーの特徴を一言でまとめるなら、「個人の快適性と温度感を示した」のだろうと感じる。バウハウスは「機能と社会を結ぶ構造」を示した。そこに温度感を与えたのが1940〜60年代のデザイナーたちだ。有機的なフォルム、ぱっと視界に差すパステルや原色、軽やかなデザインや曲面のデザイン。人の居場所や住空間にあるべき温かみをデザインに体現していたように思う。
この時代のデザインが魅力的に感じるのは、「技術革新」と「時代の高揚感」の影響が大きいように思う。戦時中に開発された成型合板、FRP、アルミ押出成形は、「曲面」を低コストで量産する可能性を拓いた。特に、成型合板とFRPにより、大量生産と大量消費のサイクルが回り始め、昨今にも大きな影響を与えているムーブメントだった。次に「時代のポジティブな空気感」。郊外に建てられたランチスタイルの平屋、週末のバーベキュー、テレビの茶の間。戦後の高揚とカジュアルな集いが、これまでの重厚な装飾家具になかった、軽快で動かしやすいモダンな家具、明るい温度感の家具を求めた(作品自体を見ていても、デザイナー自身が高揚していたように感じる。この時代にデザインしている人は楽しかっただろうなとときどき、羨ましく思う)。
ミッドセンチュリーを単純にレトロな趣味のように消費すると、その本質は抜け落ちてしまう。単なる曲線の造形でも、カラフルな張地でもない。本質は「家具が人の暮らしをより豊かにし、チューニングする」という視点だ。成型合板の椅子は、リビングを固定レイアウトからフレキシブルな舞台へ変えた。イームズのシェルチェアは、室内と室外を曖昧にしたし、テラスや庭での賑わいを室内にも呼び込んだ。プロダクトが空間の編集装置として機能した。
ミッドセンチュリーのデザインには、素材の革新がもたらした軽やかな高揚があった。成型合板やFRP、アルミ押出といった新しい工業技術が、家具を単なる道具から「暮らしをチューニングする装置」へと変えていった時代。曲面や一体成形は、人の動きや身体感覚に寄り添いながら、同時に量産と普及を可能にした。
その思想は現代にも通ずることがある。Appleのユニボディ成形は、FRPが成し得た一体化構造をアルミで再解釈した例だし、北欧発のフラットパック家具は「運ぶ・組む・畳む」という可動性を徹底し、暮らしに合わせて形を変える問題意識を引き継いでいる。マルニ木工のHIROSHIMAアームチェアはNCルーターによる三次元削り出しで、曲面成形が宿していた身体への親和性を無垢材を利用してもう一度呼び戻している。
僕がミッドセンチュリーを好きなのは、その時代特有の「楽観性」や「高揚感」がプロダクト自体から感じられるからだ。どのプロダクトにも、未来への希望をそのまま形にしたような印象がある。大量生産が豊かさの証だった時代。今はサステナビリティやコストが前提で、大量につくることはすぐに批判の対象になるけれど、あの頃はそうしたデザインこそが豊かさの象徴だった。
成型合板やプラスチック成形の革新は、今も当たり前に使われ続けている。ただこれからは、「量産」と「循環」を同時にデザインする視点が欠かせない。少し悲観の多い現代にあの時代の楽観はもうないけれど、人だけでなく地球を豊かにすることに視線を向ければ、また別の夢を描ける気がしている。僕たちは、あの時代の高揚感をもう一度追いかけるものづくりができるだろうか。