2025.02.28
つくるか、ひきいるか。デザイナーのキャリアについて
プレーヤー、マネージャー、プレイングマネージャーなど、デザインの業界でなくてもビジネスの世界で一般的に使われる言葉だ。
デザイナーのキャリアは、ある時点で分岐点のようなものを迎える。専門性を突き詰めていくIndividual Contributor(以下IC)としての道と、チームを導き育てていくManagerとしての道。そのどちらも大切で、どちらも難しい。そしてどちらも、“良い仕事”をするためのあり方なのだと思う。
僕自身、どちらかに明確に割り切れたことはあまりない。プロジェクトごとに変わる立場や役割の中で、「自分の手で形にしたい」衝動と、「誰かの可能性を後押ししたい」という感情が行ったり来たりする。だからか、ICとManagerという二項対立で捉えること自体に、少し違和感を覚えることもある。
とはいえ、組織や仕組みの中でキャリアを築く場合、どちらの軸に力を注ぐのかをある程度は明確にしていく必要がある。GoogleやMetaのような大手テック企業では、ICとManagerでキャリアパスがはっきり分かれており、ICであってもVPクラスに並ぶ待遇や裁量を持つPrincipal DesignerやIC Fellowのような存在が育つ仕組みがある。こうした構造があるからこそ、昇進が単純に「マネジメント化」するだけではなく、専門性を極めた人が組織全体に影響を与え続けることができる。それがなければ、「昇進=マネージャー」というルートになってしまい、手を動かす人材が先細ってしまう。日系企業(特にJTC)では、その構造がまだ十分に成熟していない。
日本ではどうか。ICという言葉自体、徐々に定着し始めた印象はあるものの、それでも「上に行くなら人を束ねるべき」という空気は根強い。そういった風潮の中で、手を動かし続けるデザイナーが組織の中で対等に評価される仕組みは、まだ発展途上なのかもしれない。
一方で、ICとしての深まりは、その人の技術力や審美眼だけでなく、「何を信じ、何を深掘りするのか」という姿勢に依るところが大きい。マネージャーに“関係の質”を編む力が求められるとすれば、ICには“問いの質”を耕す力が求められる。どちらも、クリエイティブの土壌を育てるという意味では、本質的には同じ営みなのかもしれない。
僕が個人的に尊敬しているあるデザイナーは、自身のアウトプットだけでなく、関わった若いデザイナーたちの成長や仕事の質が、静かにその人の仕事を物語っているように見える。直接指示を出すわけでもなく、背中で示すように。そういう“Manager的IC”という在り方も、これからのデザイン組織ではひとつの理想かもしれない。
結局のところ、自分がどんな問いを深めたいのか、どの領域で輪郭を引きたいのかに依存してくる。それに自分なりの言葉で向き合い続けることが、ICであれManagerであれ、良い仕事をするために欠かせないことなのだろう。