コラム

COLUMN:

ストリートスマートとブックスマート

Street smart(ストリートスマート)と、Book smart(ブックスマート)。

ストリートスマートとブックスマート。この対比について、最近異なる2つのコミュニティで同時に議論が出た。偶然とはいえ示唆的なので少し考えてみたい。

「勉強はできるけれど、現場では頼りない人」と「学歴はそこそこでも、現場に強い人」。英語では前者をBook Smart、後者をStreet Smartと呼んだ。もともとは20世紀のアメリカで生まれた俗語と言われるが、現在では知能指数と実務能力の違いを表す言葉としてビジネスの現場でも定着している。

理論か経験か。知識か知恵か。情報の蓄積か状況判断か。賢さのあり方を問うテーマだと思う。

そもそも「賢い」という言葉は、思っている以上に曖昧だと思う。学生時代はテストの点数や偏差値で賢さを測られるが、社会に出ると地頭や応用力やセンスといった言葉である種の賢さを測られる。

一般的には、知識や論理に強いブックスマートと、現場での対応力や機転に優れるストリートスマートに分けて語られる。前者は再現性のある知性、後者は状況適応的な知性とも言える。

ちなみに僕は完全にストリートスマート側だった。

体系的に勉強してきたタイプではなく、むしろ現場での違和感や観察から感覚的に理解を組み立ててきた。学生時代や若い頃は特にそうで、自分の場合はバイト先での現場仕事や、大人との関係の場、バックパッカーやイベント主催、制作活動、友人や先輩と行く旅行での細かい計画や臨機応変な対応などの経験や工夫から学んできた。

中学生の頃から牛乳配達のバイトをしていたのだが、ルート最適化や細かいオペレーション最適化もそうだし、焼肉屋のバイトでもより効率的に捌く方法を考えたりしていた。テスト勉強よりもバイトや遊びを優先していたので、教科書は持ち帰らず、要点だけその教科に強い友達に聞いて対応したりした。

デザインやビジネスの仕事においても、最初から理論を引くというより、違和感や経験や実感からくる一次情報等の感覚や直感を起点にして、後から言語化したり理論付けしていくことが多かった。

しかし、ストリートスマートのやり方には明確な限界がある。僕の場合はその壁に当たったのが新卒の大手企業ったかと思う。開発本部所属だったため、周りは東大、京大、東工大、慶応、早稲田、理科大、阪大、横国などの理系の修士卒、いわゆるブックスマートタイプの人達が多かった。

ストリートスマートは再現性が低い。自分の中では感覚やセンスで理解していても、理論的な脳みその人には内容が伝わらない。それに、企業は再現性を求めている。組織はスケール可能性を求めているし属人化を避けたい。リスクやスケーラビリティを考えれば当たり前の考え方だと思う。

そこで必要になったのが、ブックスマート的な思考や整理だった。30歳前後以降に出会った人の中には、僕をブックスマートな人間だと思う人もいるかもしれないが、それは後天的に身につけたものだった。

今思い返すと「自分らしいな」と思うのは、ブックスマートを体系的なBookから学ばず、ブックスマートな人たちの丁寧な観察から学んだことだ。理系の同期や先輩の話し方の順序、理論的に喋ろうとする際の要点、構造を観察した。また、分からないことがあれば「いまどのような順番で考えた?」と質問したりして、ブックスマートの思考プロセスを真似してみたり観察したりした。

少し具体的な例えだと、とあるプロジェクトで「この導線は体験として弱い」と感じたとする。ストリートスマート同士はその直感を基点に改善点やアイデアを出せる。しかし、ユーザージャーニーや行動心理、行動変容、チャネル、認知負荷、ペインやゲイン、バリュープロポジションといったフレームで構造的に分解できるようになると、それは共有可能で他でも流用可能な知識に変わる。脳みその構造が違う人同士でも、年齢や国籍が違っても容易に議論ができるようになり、意思決定の際の納得度や質が上がる。再現できそうだと、組織の中では評価もされやすい。

しかし逆も同じで、ブックスマートだけでは足りない。フレームワークや理論は、現実の複雑さを前提に作られているわけではない。現実は状況によって細かく変化するし、簡単に再現できるものでもない。想像以上に変数が多い。きれいに整理された概念ほど、現場ではそのまま機能しないことが多い。最終的には状況に応じて対応し、調整し、なんとかする必要がある。そのときに効いてくるのがストリートスマート的な思考やマインドだ。

どちらか一方しか扱えないのは、正直なところ実務では不十分だ。ブックスマートは教科書的過ぎて本質を付いてないことも多いし、必要以上に遠回りする。遠回りした結果、結論や仮説が弱かったりもする。反対にストリートスマートは直感的過ぎて文脈や根拠に乏しい。加えてそれを説明する言語化力や構造化力がない。伝えたいことを多くの人に理解できてもらえなかったり、言っていることが変わって現場を混乱させたりする。個人的には、ストリートスマートは単騎局所戦なら有能だが、長期広域戦ではストリートスマートは正直役立たず。再現もできないので組織単位では扱いづらい存在にもなる。

ある程度、どちらも横断的に使える人が十分要件だと思う。直感を構造や理論に変換し、その構造を再び現場で実践する。現場で起こる不具合に臨機応変に対応する。この往復のループがアウトプットの深度を深くしていく。

改めて振り返ると、自分はストリートスマートを起点に、後天的にブックスマートを獲得した。だからこそ分かるのは、学び直し、いわゆるリスキリングの必要性。自分の直感をときに疑い、自分の経験をときに疑い、それを言葉にして、他者の考えを吸収し共有可能な形に変換する。そのプロセスが本当の意味での成長に繋がると感じている。

結局、賢さとはどこで学んだかではなく、どう応用的に、状況に合わせて使い続けているかに依存する。ストリートかブックか。その二項対立を越えた先に、実務としての奥深い知性があると思う。

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