コラム

COLUMN:

新年の抱負に意味はない

新しい年が明けると、世の中はいつも以上に「意味」を求め始める。 今年の抱負は何か。どんな目標を掲げ、どんな自分を目指すのか。SNSには決意表明が溢れ、書店には「人生を変える習慣」のようなタイトルの本が平積みされる。

新年の抱負にあまり意味はない。厳密に言えば、「あらゆることに意味を見出そうとすること」が、無意味に思うことがある。

「Blueberry」という名前に込めた、「意味がないこと」

よく「なぜその名前にしたの?」「どんな意味が込められているの?」と聞かれる。相手は、厳しい自然で育つ力強さだとか、視界をクリアにする知性だとか、そういったストーリーや意味付けを期待しているのかもしれない。

しかし、実際は名前に深い意味はない。 ただ響きが心地よく、英字の字面が好み、覚えやすい単語で、重々しくなかったから選んだ。それだけだ。昔、実家で飼っていた猫が Blue という名前だったのもあるけど、正直、後付けといえば後付けだ。

デザインやコンサル会社は、あくまで法人や個人、ブランドやプロダクトの支援をするための箱に過ぎない。クライアントが持つ価値や資源を、言語化したり、可視化したり、仕組み化したりして、最大化することにある。主役はあくまでブランドや法人であり、我々は舞台の黒子のような存在とも言える。

「意味づけ」のジレンマ

そもそも僕たちは、あらゆることに意味を見出そうとしすぎる。 心理学の世界には「パラリシス・バイ・アナリシス(分析麻痺)」という言葉がある。選択肢を過剰に分析し、完璧な正解(=意味)を求めすぎるあまり、意思決定ができなくなってしまう状態のことだ。

「これをやる意味は何だ?」と問ううちに、最初の一歩が重くなったり、行動ができなくなってしまう副作用もある。

また、不安とストレスを生む要素にもなる。設定した意味から逸れると、失敗したような感覚に陥ったり、建設的ではない思考や議論の堂々巡りに時間を奪われたりもする。

加えて、非現実的な期待値が高まるという問題もある。ストーリーやナラティブを描きすぎることで、現実の泥臭い継続やオペレーションが退屈に感じられてしまうこともある。

「今、ここにある無意味」を愛する

意味とは、本来、後から自然に生まれてくるものだ。 何かに夢中で取り組んでいるとき、熱中や熱狂しているとき、僕たちはその意味をいちいち考えていない。いまこの瞬間の身体感覚や、インスピレーション、創造性や知覚に集中している。そして月日が経ち、あらためて振り返ったときに初めて「ああ、あの時間はこういう意味だったのか」と、点と点が線で結ばれる。

意味のないことを、意味のないままにしておく。 日々の小さな活動の結果が、後から意味を帯びてくればそれでいい。むしろ、無意味を愛するくらいが健全だ。気が変われば名称を変えるくらいの自由な心構えがちょうど心地良い。

決意を捨てて、呼吸を始める

新年の決意を立てて、自分をアップデートした気になるのは危険だ。元McKinsey日本支社長である、大前研一氏の言葉で、僕がとても好きな言葉があるので紹介したい。

人間が変わる方法は3つしかない。ひとつめは「時間配分を変える」。ふたつめは「住む場所を変える」。みっつめは「付き合う人を変える」。

最も無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。

必要なのは決意を新たにすることではなく、今この瞬間の手触りを感じることや、呼吸に集中すること、実際に行動することだ。意味がなくても物事は動き始めるし、持続していく。

むしろ、 その不安やプレッシャーのなさが、結果として遠い場所へ連れて行ってくれることもある。意味など、やがてついてくる。

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